なぜ imparfait を「半過去」と訳すのか。

仏文法の imparfait は日本では通例「半過去」と訳されている。
ラテン語の imperfectum に由来するこの時制名称は、他のロマンス語でも対応する形が使われ、したがって「半過去」という訳語も用いられているようだけれど、他のロマンス語学で見られる「未完了(過去)」「線過去」といった呼称は、あまり仏文法ではみかけない。そこで「半過去」ってなんだよ、何が「半」なんだよ!という疑問がしばしば提出されるわけだけれど、実は「半過去」という文法用語は、もともと仏文法(ロマンス語文法)に限った用語ではなく、その初出は蘭語学に遡るらしく、古くはまた英文法、独文法でも使われていた。

「半過去」は当初より Imperfectum の訳語として使われ、他にも「過去ノ現在」「過了現在」「未成過去」といった訳語が使われた。ところで、この Imperfectum は英語でいうところの I loved の形を指すのに使われ、対して I have loved の形は Perfectum と呼ばれていた。これだけで見れば、なんだ今の「完了」と変わらないじゃないかと思うのだけれど、当時はアスペクトとは無関係に、この Perfectum こそ「完全な《過去》」であると捉えられ、「過去」「孤立過去」「完成過去」という訳語が与えられた。他方で Imperfectum は現在との繋がりを表す「過去ノ現在」=《半過去》と考えられたらしい。

ところが、むしろ I have loved の形こそ現在(完了)であると解釈されるにいたって、斉藤秀三郎の『スウヰントン氏英語学新式直訳』にて、この Perfectum が「半過去」と訳され、Imperfectum は「過去」と訳されるという逆転現象が起きた。当然、相当の混乱があったらしく、結局、英独蘭文法では「半過去」という名称は消えてしまった。

さて、仏文法で「半過去」という訳語が使われ始めた時にはすでに蘭語学等で使用されていて、これをそのまま借用したものとして、それではなぜ、英独蘭文法では消えてしまった「半過去」という用語が、仏文法では未だに使われ続けているのか、ということが問題になるのだけれど、…なんでだろう。思うに仏文法では imparfait の他に過去時制とされるものに、「単純過去」 passé simple と「複合過去」 passé composé (古くはそれぞれ「定過去」 passé défini、「不定過去」passé indefini などとも呼ばれた)などがあって、ただ「過去」と呼べる時制がなく、名称が入れ替わるような混乱がなかったではないだろうか(しかし、これは他のロマンス語文法でも事情は同じはずか…)。…と想像でしめるのも申し訳ないので、一応調べるにあたって出てきた関係ありそうな文献だけ下にあげておきます。

Biblio :
談話会報告「幕末の日本開国前後における西洋語・文化の受容とその影響」, 『フランス語学研究』45号, pp. 116-119

市川慎一 (1993), « Du francais au japonais par le truchement du hollandais. Difficultés rencontrées par nos premiers traducteurs : A propos de la Nouvelle Méthode des Langues Françoise et Hollandoise par Pieter Marin (Amsterdam, 1775) », 『文学研究科紀要第三十九輯』(文学・芸術編), 早稲田大学, pp. 15-27.
—— (1994),「『払郎察辞範』に見るフランス語と日本語」,『言語』1994-1, pp. 12-17.
富田仁 (1975),『仏蘭西学のあけぼの—仏学事始とその背景—』, カルチャー出版.

岡田和子 (2006), 「江戸および明治期の洋語学における文法用語の比較研究 : 和蘭語・英語・独逸語をめぐって」, つくばリポジトリ (Tulips-R)
また、こういう発表があったらしい:
岡田和子,『《半過去》誕生 - 明治を作った江戸の文法研究』, 平成23年11月26日, 日本仏学史学会


井島正博 (2009),「近代文典におけるいわゆる推量助動詞」, 『日本語学論集』第5号, pp. 51-92. UT Repository (pdfあり)
佐藤良雄 (1962),「文典用語の相互影響 -特に動詞過去の用語について-」, 日本大学文理学部人文科学研究所『研究紀要』第4号, pp. 41-61. 日本大学文理学部人文科学研究所 (pdfあり)